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高校教師が地理・世界史での実践をゆる〜〜く更新

【本】『ハーバード日本史教室』 佐藤智恵 著

ハーバード大学で行われている、日本史に関する授業を行っている教授たちへのインタビュー集。

 

 

(筆者)ゴードン教授は「日本は品格ある国家をめざすべきだ」と提唱されていますが、それはどのような国家でしょうか。

 

 私がいう「品格ある国家」とは、日本の皆さんが考えるイメージとは異なるかもしれません。国民が「我が国は特別でも完璧でもなく、我が国にも暗い歴史はあるのだ」と認めた上で、自国を誇りに思う……これこそ品格ある国家の姿です。

 

 若い人には、自国の良いところばかりを教えて、愛国教育を施す。これでは、「偽りの誇り」と「実体のない品格」(empty dignity)をもった国民ばかりになってしまいます。品格ある国家とは、自らの過ちを認め、それを改めることでさらに強くなっていく国家のことです。

 

「我が国には恥ずべき歴史など何もない」と考えることは、虚構の中に生きることになります。それでは品格も尊厳も身につけられません。

私は、自国の暗い歴史を知らずして、世界の人々と本当に理解しあえることはできないと思います。なぜなら「自分の国は他の国よりも優れている」と刷り込まれていれば、謙虚さを失ってしまうからです。「尊厳」と「謙虚」は表裏一体のものなのです。

 

 授業では、『正しい戦争と不正な戦争』(マイケル·ウォルツァー著)に書かれてある正戦論、をベースに,トルーマンの決断が人道的に正しかったのかどうかを議論します。ウォルツァー教授は著書の中で戦闘行為を正当化するための原則をいくつか紹介していますが、その中のどの原則 を根拠に、トルーマンは原爆投下を決断したのでしょうか。

 

三つあります。

一つめが「功利主義」。トルーマントルーマンのアドバイザー、ウィントルーチャーチルは皆、「本土上陸作戦よりも原爆投下のほうが戦争を早く終わらせることができるため、結果的に犠牲者が少ない」と主張していました。つまり、「戦争における最大の思いやりは、戦争を早く終わらせることなのだから、原爆投下は人道的に正しい決断だ」という考え方です。

 

二つめが「戦争は地獄」。これは南北戦争時の北軍の将軍の言葉に由来する原則ですが、「戦争の罪は、それを始めた人がすべて負うべきだ。敵対行為に抵抗する側は勝つために何をやろうが決して非難されない」という考え方です。戦争をしかけられ、正義の戦いを行うものは選択の余地なく地獄の戦場に赴くしかないのだから、というのがその理由です。

「戦争は地獄」に基づけば、「真珠湾攻撃によって、アメリカに対する戦争を始めたのは日本だ。だから、日本人が始めた戦争を終結させるのに最も早い方法、つまり、原爆を使ったとしても、アメリカに罪はない」という結論になります。

 

三つめが「スライディング·スケール」。「正義の度合いが高いほうが、より正しい」とい考え方です。この原則に基づけば、「正義の度合いが高ければ、戦い方も大きくしてよい」つまり、「真珠湾攻撃の犠牲者であるアメリカ側の正義の度合いはかなり高いのだから、それに見合った攻撃をしてもよい」ということになります。この考え方もまた原爆投下を正当化するのに使われました。

 

(筆者)トルーマンは「功利主義」「戦争は地獄」「スライディング·スケール」という三つの原則によって原爆投下を正当化しましたが、『正しい戦争と不正な戦争』の著者、マイケル·ウォルツァー教授は、そのような原則で原爆投下を肯定するのはおかしい、と非難しています。この三つを非難する根拠となっている原則は何ですか。

 

戦争における最も重要なルールは「非戦闘員の保護」です。それはつまり「戦争は戦闘員同士の戦いでなければならず、非戦闘員である民間人を敵とみなして攻撃したり、巻き込んだりしてはいけない」という基本原則です。多くの民間人が犠牲になった原爆投下がこの原則に違反しているのは明らかです。

「ダブル·エフェクト」の原則にも反しています。「ダブル·エフェクト」とは、「意図的に非戦闘員を攻撃することは人道的に許されない」「戦闘員は非戦闘員の被害を最小限に食い止めるために最大限の努力をしなければならない」というルールです。連合国側は日本に対して、「破壊的な威力をもつ新兵器を使う用意がある」と警告しましたが、その警告は軍部に向けられたものでした。

広島と長崎の市民に避難する猶予を与えることなく原爆を投下したわけですから、「民間人に被害が及ばないように最大限の努力をした」と言えないのは明らかです。

「比例性のルール」にも反しています。これは過度の危害を与えることを禁じる原則であり、「実質的に勝利に向かわない危害、もしくは危害の大きさに比べて目的への貢献度が小さな危害をむやみに与えることは許されない」というルールです。アメリカ政府は、原爆が人間に与える危害の大小も目的への貢献度も把握しないまま、原爆を投下したのは、比例性のルールに反しています。

 

 現在、米軍では、どの組織であっても、トップは他の隊員からの意見を聞くことなく、最終決断を下してはならないそうです。たとえば、隊員が戦線を拡大したいと思ったとしましょう。その際には必ず「このように戦線を拡大したいと思うがどうだろうか」と部下や専門家などに意見を求めるそうです。相談された側は、それに対して自由に反論を述べたり、他の代替案を提案することができ、隊長は少なくとも三つの代替案を検討し上で最終決断を下すと聞きました。

 

 もう一つ彼女の発言で印象的だったのは、弁護士がトップの決断プロセスに深く関わっていることです。陸軍、海軍、空軍、海兵隊にはそれぞれ法務部門があり、軍事専門弁護士が参謀本部だけではなく戦地にも常駐して、戦時法規の観点から助言しているそうです。どのような戦闘行為を行うか、さらに戦線を拡大すべきかどうか、など、すべての決断に弁護士が関わっているとのことです。

 この女子学生のコメントに他の学生たちは大変驚いていました。彼女の発言でトルーマンの決断プロセスがいかに未熟なものであったかが、浮き彫りになったと思います。