社会科教員のひとりごと

読んでも何の役にも立ちません。

アルゼンチンのソウルフード“チョリパン”

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ずっと気になっていた代々木上原にある、Mi Choripanに行った。

 

アルゼンチンのファストフードで、

チョリソーをパンに包んだ料理。チョリとパンでチャリパンという訳。

 

さすざアサード大好き牛肉文化な国って感じの料理。本場はどうか分からないが、ここの肉は柔らかくとろけ、良い意味で肉が入ってたか⁈!と驚いた。だけど、口の中には旨みが広がる。絶品。

 

酸っぱいソースのチミチュリが食欲をかきたて、夢中にかぶりついた。

 

遥かアルゼンチンのパンパの大平原に思い馳せた。そもそもアルゼンチンの国土は日本の8倍弱、なのに人口は4700万人ほど。伸び伸びと牛も育つわな〜、とか思う。

 

ただご飯を食べるだけなのに、あれこれとか思う地理教員は困ったものだ。

【本】『モスクへおいでよ』 瀧井 宏臣

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今度、生徒を連れて東京ジャーミーに行くことになった。

 

イスラームを知ることを通して、異文化を感じることが目的だ。

反応はどうかな〜、と今から楽しみだ。

イスラームよくわからん、とか何か変だねみたいな素直なリアクションも含めて感じることに意味があると思う。

 

かくいう自分だって異文化理解は大事とか言ってるけど、本当のところは異文化を理解し受け入れているかよく分かっていない。

 

それって、目の前に現実として現れて初めて生まれる感情でもあるから、変に優等生にならずに感じたいし、生徒にも感じてほしいなと思う。

 

そんなときに、娘と図書館に行ったらたまたま見つけた本。神の導きか?!

 

東京ジャーミーのガイドをしている下山さんについて書かれている。

岡山出身の日本人だけどムスリムになった経緯が興味深かった。

かなり骨太なジャーナリストとしての経験があるのに驚く。フィリピンのイスラム系武装組織に取材しているなんて。

 

911以降のイスラームへの偏見を無くすため、本格的に東京ジャーミーでの活動を始めた。人の人生や目的なんてどこで何がきっかけになるかわからん。

 

 

イスラームではチューリップが絵のモチーフになることがある。これは、一株で一つの花しか咲かないことが一神教の象徴であることを表しているなんてのも初めて知った。

 

 

良い本でした!

【本】『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』 勅使河原真衣 編著

またまたやられました。

教育界隈の方との対談本。

以下に、各対談相手の方々との中で印象深かったことを取り止めもなく書いてみる。

 

【野口晃菜さん】

高校の現場で感じる耳の痛いことが多々ある。

「この子さえいなければ」って言葉、思ったことあるよな。気持ちの上では、誰にとっても安心して通える学校にしようって思うけど、個別対応による業務負荷を考えたら尻込みする…。

だったら、今まで通りのやり方で、今の学校に合わせて下さいってなっちゃうのもよく分かる。

 

あと、能力についても合点がいった。つまり、チームの組み合わせで良さが発揮できる人もいれば、いない人もいる。その人がダメ!とかじゃなく、組み合わせや職場環境が合っていないのでは?という話。

みんな凸凹だよね。凸凹だから魅力的だし助け合えるよね。これは教室も職員室も同じなんだよねってこと。

 

前の職場が夜間定時制だったけど、その時はみんな時間に余裕があるから勤務時間内にどれだけのことができるかが前提だった。でも、全日制に来てからは17時以降も保護者対応、部活指導やることが暗黙の前提で、その環境では自分は学校に全力スイングできていないなぁ〜と感じでいる。

で、これは17時以降も残業する先生が偉い!定時退勤する人はやる気ない、って話ではない。そういう熱心な人たちのおかげで学校が回っていて(その前提で回っていくのはおかしいのだけど、その人たちへのリスペクトは絶対に忘れてはいけない)、そういう意味で今の職場では自分は貢献度の低い人間なのかもしれない。

同じ教員という立場でも職場によって、合う合わないは絶対にあるのだ。

 

 

【竹端寛さん】

集団をそろえる、まとめることができる先生が良い先生って言われるよな〜、なんか違うと思いながらも結局黙っていさせることができる先生こそスゴイみたいな。

はみ出す存在はいるはずなのに、そこを抑えこんでこそ秩序が保たれるって考え。学校は去年と同じ流れで、変わったことが無く、異議申し立てがなく、変わらない一年が過ぎていくことが先生からしたらラクだもん。

でも、まとめない方が面白いし、時間はかかっても生徒たちが解決していくんだと思う。なんとなくそう思うけど、そんな悠長なことも言ってられないし、付き合う時間もない。

 

 

【武田緑さん】

校則の話で、親とか地域の期待に応えちゃっている問題。子供たちにとって?ではない。そもそも、社会の側にも責任があるかもねと言うのは大事な指摘だと思う。

僕らが見た目で判断してないか?というのを問わなければいけない。

やっぱ、そういうことでも定時制の時は生徒も少なかったし、時間も余裕あったから関わりが楽しかったな〜。

 

【川上康則さん】

これぞ現場でやっている人の声。自分もこんなふうに、学校で抱いている違和感とか同僚と話せたらなあと思うけど、それって勇気のいること。校則厳しすぎやしないか?とか、本当は学校の根幹に関わるようなこともフランクに思いを話し合えるだけでも、何か変わってくるのかもしれないと思う。

で、ここでやっぱりくるのは、それって効率悪く無い?ってことが頭をよぎる。結局答えが出なくて、何も現状変わらなくて、ただまとまらずに終わるっていう。ただ本書でも度々出てくるけど、まとまる必要はないとも思う。

 

 

などなど、印象に残ったことを書いてみた。

本書読んで希望を持てたっていうのが大きい。いまの学校制度は曲がり角に来ているのだろうけど、変える勇気はなかなか持てない。そんでもって、余裕がない。

我が家の子供が小さいから定時退勤するっきゃないやつが、学校でいろいろ言うのもおこがましく感じる(本当はそんなことはないのだけど)。

定時制のときは、生徒が少なかったから、子供たちと無駄話をする時間がとにかくあった。そして、その無駄がとても尊い時間だった。押し付けではなく、指導でもなく、自然な形でアドバイスできるようなそんな関係だった。

本書の中で語られるように、変わっていくことを前向きに感じられたし、40人1クラスはどうしても管理になっちゃうよなぁ、と思っても、諦めるところはあっても希望はもって、楽しくやっていきたい。少しずつね。

うまくまとまらないけど、なんか明るい気持ちになれたのでそれでよし!

 

 

【本】『「低度」外国人在住 移民焼き畑国家、日本』 安田 峰俊

いや〜、生々しい。

外国人多いよね〜って肌感としてあったけど、僕たちが出会うのはコンビニのレジだったり、居酒屋の店員だったりするわけで。

彼らの生活までは想像しえていない。本書の中でも引用される、

「われわれは労働力を呼んだのに、来たのは人間だった。」

の通り、僕たちと同じように外国人の彼らも働き、ご飯を食べて、遊び、生きる。

 

日本に暮らす僕らは、都合よく「労働者」という視点で見るけど、当然ながら生活者である。

 

お金のために日本人がやりたがらない労働をやってくれる か弱い存在。一方で、犯罪を犯し日本の治安を悪化させる存在。どちらだけでもないし、どちらだけ当てはめる存在でもない。

 

彼らの現実を詳しく追っている良い本だった。

 

ちなみに焼畑国家というのは、つぎつぎと国を変えて人を呼ぶ様子を揶揄してる。

中国人が自国の経済水準が上がってきたから出稼ぎしなくなり、代わりにベトナム人を雇う。ベトナムの次はカンボジア…のような。

 

いつまで日本が経済的に優位なのか、そんな事も思わざるを得なかった。

【本】『自分とかないから。 教養としての東洋哲学』 しんめいP 著

 

 

とにかく軽い。なんか軽すぎて薄っぺらい内容なのかな〜、と思いきや例えが秀逸で引き込まれた。

 

龍樹の章で「空(くう)」についてこんな感じで言っている。

卒業式。

今日で「学校」というフィクションが消滅する。

「生徒」も「生徒」じゃなくなって、「先生」も「先生」じゃなくなる。「自分」が何者でもなくなる。

そして、「自分」がなくなるから、机さんも「机」という役割から解放される。

自分から、「机」という役割を解放された、元「机」。

なんかよそよそしい感じがする。

木の板とか、金属のあしが、妙にキラキラして見えたりする。

人も、モノも、みんなが意味から解放されて、何者でもなくなったときの、この感じ。

決して「虚無」ではない。

すがすがしくて、キラキラしてて透明な感じ。

これが、個人的に「空」を感じるとき。

 

なるほどな〜。

「空」はフィクションだから、言葉によってそう思い込んでいるだけ。境界線は人間が勝手に思い込んでいるだけだから、全ては繋がっている=「縁起」ってわけだ。

だから、「一によって全てを見る」。

1=無限、無限=1。こういうとこが、東洋哲学かっこいいよね。

中学とか高校生の時、こういうの意味がよくわかってないのに使いたがっていた自分が青いな〜、とふと思い出した。

 

著者の悩みが東洋哲学で救われたってのが、この本。

龍樹は、弱いのも、小さいのも全て相対的だって言っている。

ジャイアンはのび太がいるから強くいられるってこと。そんな基準なんて、場所や環境によるじゃんって。

 

あなたが友達の家に行ったとする。

そこで友達が「5000兆円、無いな〜」と言って部屋で5000兆円を探し回っていたら、どう思うだろうか。

5000兆円が、「有る」前提じゃないと、5000兆円が「無い」という事態は起こらない。

 

有るとか無いは、フィクション。彼氏いないと赤ちゃんは悩まない。

不変の「個性」、不変の「性格」、不変の「アイデンティティ」は、ありえない。

ってことだ。

 

龍樹は、こういったまちがった思考を「戯論(けろん)」とよんだ。

「クソしょうもない考え」という意味だ。

自分で「クソしょうもない考え」の中に入り込んで、出られなくなっているのが、僕たちの姿なのだ。

 

これ勇気もらう!著者の実感がこもっているのが良い。

 

とにかく面白い本だった。

しんめいPさん、ありがとうございました!