社会科ネタ倉庫

高校教師が地理・世界史での実践をゆる〜〜く更新

【本】13冊目『愛されて勝つ』 原田 大輔 著

愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り | 原田大輔 |本 | 通販 | Amazon

 

川崎フロンターレがいかに”変な”クラブで、その成り立ちを知ることができた。

自分は生まれも育ちも川崎だから、

本書でも語られる”川崎に誇りが持てない”のような気持ちは、とってもよくわかる。

東京と横浜っていうイケてる都市部に挟まれた街の宿命というか…、なんか子供心に出身地川崎と説明するのに「東京と横浜の間の街」と説明するのがなんだか辛かったのを覚えている。

 

クラブの経営は富士通が母体だけど、富士通色を全面に出すのではなく川崎に根付いたクラブ経営にしようという決断は本当に英断だと思う。

 

Jリーグ100年構想と言って、「スポーツで、もっと、幸せな国へ。」をスローガンにJリーグは運営されている。

 

aboutj.jleague.jp

 

こんな理想があって、Jリーグの各クラブは地域と共に活動をしているのだけど、フロンターレは際立っている。

その動機となったのは、後発クラブであること、さらに人気だった川崎ヴェルディが東京に出ていったことへのサッカークラブに対する川崎市民の不信感だった。その状況がバネとなり商店街の個人商店に営業をしていき、”市民のクラブ”を作り上げていった。

 

とにかく読んでいて、川崎市民として胸が熱くなった。

川崎フロンターレの後援会に入っているけど、サッカーが強いから入っているわけじゃない。地域の清掃活動から、病院訪問、算数ドリルに選手が登場したり…川崎に住んでいたら、毎日どこかで目にするくらい様々な地域貢献活動をしている。

 

www.frontale.co.jp

 

プロ野球には無い、こういうところがJリーグを好きになった理由だし、川崎フロンターレを応援する理由だ。日本各地でサッカークラブが中核となり地域を盛り上げる。都市部でも地方都市でも、そこに暮らす人たちの誇りとなる。それって、素晴らしいことではないか。

 

もう一つ、本書を読んでいて感じたのは理想を掲げることの意味。

Jリーグ100年構想もそうだし、フロンターレの地域に愛されるクラブになるもそう。

理想なんてどうせ無理、できないって言われるかもしれないけど、理想があるから頑張れたり、近づこうと努力ができる。現に、人気がなかったフロンターレが、川崎市民の誇りになるような強く・面白いクラブになった。

 

本書に出てくるスタッフ、選手などさまざまな人たちが、いろんなことを言っているけど、真ん中にあるのは川崎の人たちを喜ばせ、愛される魅力あるクラブになりたいという気持ちだ。

さらにフロンターレが好きになった本でした。

 

【本】12冊目『ノーザンライツ』 星野 道夫 著

ノーザンライツ (新潮文庫) | 道夫, 星野 |本 | 通販 | Amazon

 

学校行事で星野道夫さんのスライドショーと朗読を聞ける!となり、慌てて読んだ本。

何より星野さんの真っ直ぐな人柄が文章から滲み出ていて、アラスカの自然美にもちろん圧倒されるんだけど、「星野さんが見たアラスカ」を僕は好きになった。

星野さんとアラスカに暮らす人たちの交わり、動物たちとの邂逅…。厳しい自然の中で磨かれていく星野さんの優しくあたたかい人柄に魅了される。

 

アラスカが核実験の地になりそうになったが、必死な活動で食い止めた人々。アラスカの自然は観光の対象ではなく、エスキモーの暮らしと共にあるもの。都市に住む僕が環境保全と言ったり、たまにキャンプへ行って自然を感じるのと根本的に違う。

 

極北の地にもかかわらず、人間は遠い昔から生き続けてきた。

そのことが驚きだし、寒くなるとすぐ風邪をひく自分にとったら、アラスカで暮らすことは夢のまた夢なんだけど、彼の地の人々が連綿と受け継いできた暮らしと文化に、心震える。人間てすごい。

 

 

ちなみに朗読をしていただいたのは、磯部弘さん。

コロナで対面というかライブ感に飢えていたのも相まって、朗読にグイグイ引き込まれた。もっと聞いていたいって思うくらい、写真と朗読の世界、まさに想像の旅をしていた。

www.asahi.com

 

アラスカ行きたい!

 

【本】11冊目『世界のエリートはなぜ「美意識」を育てるのか?』 山口 周 著

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書) | 山口 周 | ビジネス・経済 |  Kindleストア | Amazon

 

 


変化の激しい時代で、経営者は何を軸に判断したら良いのか? に対して、アートですよ。と著者は言う。

ではなぜアートなの?

 

・論理は説明責任を果たせるが…、言い訳にもなる。

意思決定の際に論理的な決断は「説明がつき」それなりの説得力があるし、また「説明責任」を果たせる。

しかし、直感的な決断は往々にして「なんとなく」の域を出ない。だから説明責任を果たすことができない。

説明責任を負えることは確かに大事なんだが、それでは正解がコモディティ化=似たり寄ったりに陥って差別化できなくなってしまう…。

他者と差別化して価値やブランドを確立していくはずが、大切な判断においては説明責任という「言い訳」を気にしてとんがった決断ができなくなるよね、と主張している。

 

・法的にアウトじゃなければ何やってもいい?

あと、変化の早い時代において、法整備が追いつかない事象がある。

法の抜け穴をついて大儲けすることもある。そんな世の中でクオリティの高い決断をするには、「真・善・美」を判断するための「美意識」を鍛えることが必要。

 

これを読んで、真っ先に旧NHK党のやり口が頭に浮かんだ。

確かに選挙制度のルール内でやっているのだけど、そこには政治に対する責任感はない。けど、別に法的に逸脱してないからいいでしょ!っていうスタンス。

別にいいけど、良い感じもしない。まさに「真・善・美」を感じさせない。

 

本書の中で引き合いに出されているのは、

GoogleがAIの会社を買収したときに、社内に人工知能の暴走を食い止めるための倫理委員会を設置したという話。テクノロジーの利便性と背後にある危険性を共に見つめ、自ら抑制できるのは、金儲けできれば良いじゃん!というのとは一線を画している、という話。

 

・とはいえ、論理的思考は絶対必要

論理と理性を両立させることが大事。

昔は人と同じ答えを、「より早く、より安く」求められたら成長できた。まさに、日本の高度成長期。けど、その座は今や中国、次に新興国が担うようになっているわけで、日本の企業は昔の成功体験から脱しなきゃいけない。それは教育も同じ。

 

・日本の企業はビジョンを掲げているか?

どこの企業もビジョンはあるが、それが聞くものにワクワク感を与え、多くの人に共感を得られるものか? そして、働いている人たち自身が胸を張って言えるか。

ビジョンは「真・善・美」があり、自分も参加したいと思わせるようなものでなければいけない。それは、売上××%アップとかそういう目標でなはく、もっと大きなビジョン。

 

・世界観とストーリーは決してコピーできない。

デザインや性能はコピーし、コモディティ化できる。けど、ストーリーはコピーできない。Appleがファンを掴むのは、スティーブ・ジョブスの考え方に代表されるストーリーあってこそ。一貫したデザイン哲学。MacBookを持ってスタバで仕事するオレかっこいい!っていう、そんなイメージ。これは、簡単に真似できない。

 

オウム真理教の美意識の欠如

オウムは受験エリート、高学歴者がはまっていた。彼らは、決められたシステム内のステップアップを得意としていた。何点取れば合格、昇進といったシステム。その攻略法に長けていた。同じことがコンサル業界にも言える。そこでは、美意識は必要がない。「システムによく適応する」ことは、「より良い生を営む」ことではない。

「偏差値は高いけど美意識は低い人に共通しているのが、文学を読んでいないことは何かを示唆している」。

 

アイヒマン

ナチスドイツでユダヤ人虐殺の中核を担ったアドルフ・アイヒマンは、戦後の裁判で「私は上司の命令に従っただけだ」という供述を繰り返した。ユダヤ人を逮捕、輸送、虐殺するまでのシステムを作り上げたが、そこに人間としての良心は無い。

これは、多かれ少なかれ自分にもアイヒマンがいると思った方がいい。歴史上最悪な出来事の一つが、「真面目」な仕事により起きた。自分の中に「真・善・美」を持たないと、組織の雰囲気やルールに流されて「汚い仕事」をしてしまう可能性がある。

ハンナ・アーレントは、「悪とは、システムを無批判に受け入れること」と述べている。だからといてシステムを拒絶し、反旗を翻しても世の中は変わらない。筆者は、システムを修正できるのは、システムに適応している者だけ。と述べている。これは、学校の教員集団でもきっと同じ。

 

 

決断する際や、生徒へ伝える言葉の中に「真・善・美」を感じさせることができるだろうか? 損得だけ伝える大人にはなりたくないと思う。

 

 

【本】10冊目『同志少女よ、敵を撃て』 逢坂 冬馬 著

同志少女よ、敵を撃て 通販|セブンネットショッピング

 

ロシア人、女性狙撃手の成長物語。

戦争はかくも人の心を歪めるのだなと読んでて痛々しくなる。

オリガというウクライナ出身のチェーカー(秘密警察)が死ぬ間際に「くたばれソ連」と言ったことは、ウクライナ人のロシアへの恨みを象徴してるように思える。今につながるロシアのウクライナ侵攻の背景には、別々の民族がソ連という壮大なフィクションの下で一つになっていた息苦しさがあったんだろう。

ソ連第二次世界大戦ナチスドイツに勝利したこと。そして、そこで二千万人余りの犠牲者を出したことは、ソ連という国が一つにまとまるために必要な「物語」なんだろう。日本みたいに戦前・戦後が別の国みたいに語られるのとは違う。

 

 そうそう、実際にソ連最高の女性スナイパーと言われたリュドミラ・パヴリチェンコが作中に出てくる。彼女は戦後の生き方を問われ、「好きな人を見つけるか、生きがいになるものを見つけるか」と語った。本当にそう言ったかは分からないが、作中の女性スナイパーたちの今後の生き方を示唆する内容になる。

 戦争という異常さを生きた彼ら、彼女らは戦後まともな生活が送れたのか? 平和な暮らしを心から満喫できたのか … ?そんな問いも投げかけられる。実際のリュドミラ・パヴリチェンコは戦後PTSDアルコール中毒に苦しむ。英雄と称えられる一方、その精神は苛まれていたわけだ。

 ともかく独ソ戦の悲惨で陰気な感じが伝わってくる小説だった。最後、希望の見える終わり方で良かった!

 

【本】9冊目『人新生の資本論』斎藤 幸平 著 

人新世の「資本論」 (集英社新書) | 斎藤 幸平 |本 | 通販 | Amazon

 

資本主義じゃない新しい形の社会はあるのか?

間違いなく気候変動や、貧富の差の拡大など現在の社会システムに歪みが生まれていることは確か。

資本主義の文脈の中で、マイボトル持ったり、エコバック使ったりする程度の「環境に意識してる風」じゃなくて、もっと根本的な解決方法を提案している。確かにマイボトル持って満足して環境に配慮してるオレ、みたいに思うこともある。

先進国は、グローバルサウスの国々などの資源を使い、自然環境を破壊して豊かな暮らしをしてきた。発展途上国の犠牲の上に成り立つ豊かな暮らしはいつまで続く?

EVにすれば二酸化炭素排出量が減る、と言ってもEVを普及させるために新規投資をして、また資源を消費していく。資本主義は終わりがないから、というか人間お欲望は終わりがないから、地球が滅亡しても資本主義は残った…なんて皮肉も生まれる。

コモンとは、水や電力、住居、医療、教育など公共財のことで、この管理を市民が自発的に行えば、必要以上のものを生産したりしなくて済む。必然、過剰な生産がなくなれば、過剰な消費もなくなり環境問題の解決にもつながる … 。

夢見たいな話だけど魅力的だ。

でも、株式投資で儲けることを考え、公務員として給料が保障されている身分の自分が心から、著者の考えに同意し行動できるかは自信がない。

環境問題がどうしようもなく危機に陥り危害が加えられない限り変わらないのかも…、そんな自分も情けないが、今ならやり直せる!っていう著者が同年代なので、刺激をもらった。